現在の教祖について


☆平成に新たな教祖誕生

終戦前から現在に渡りあんパン教は存在しなかった、現秀師の二人の娘の長女は昭和31年に結核でこの世を去っている。

次女は婿養子をもらう形で結婚し、そのまま府中の家に暮らして息子一人と娘一人を出産して、ごく普通の家庭を築いていた。

ここからの主役はこの息子の話になる。

この息子は現斌を名乗り、あんパン教を再建する考えだ。

☆新たな教祖・現斌師とは?

昭和41年生まれ、現在は42歳になるが、あんパン教の事など何も知らずに暮らしてきた。

今から8年程前に、母から生活態度について叱咤された時に、祖父はとても立派な人だったのに、あなたはどうして?のような内容で説教されたらしい。

その時に初めて自分の祖父が宗教家だった事を知り、接戒の事も知った、きっと母は戦死した祖父のような生き方を望んでいなかったので、息子にはそれまで詳しく話していなかったのだろう。

それからあんパン教について母からいろいろ教えてもらった、接戒のような夢を何度か見たことがあるので、自分にその能力が継承されているのではないかと予想はできたが、実際に接戒をコントロールするにはどうすれば良いか、まったく見当がつかなかった。

実際に過去にあんパン教では、どのように祈り、どのように修行したのかは、まったく知らないし、母も幼い頃の記憶なので覚えていなかった。

☆修行

とにかく何かで修行しなければならないのは分かっているが、キーワードは多摩川くらいしか思いつかない、そこで安易ではあるが多摩川に接して修行らしく苦しい思いをする方法として、多摩川沿いをジョギングすることにした、しかしジョギングには向いていなかたようで、しばらくして挫折した。

次に考えたのが、自転車で走ることだ。

ジョギングよりもはるかに長い距離を走れて、しかも景色が変わるので単調だが飽きないので長続きした。

教祖本人に言わせると、有酸素運動をしながら単調な動きを続けることによって、脳に酸素が回って頭が冴えるそうだが、科学的根拠は不明ではある。

とにかくひたすら瞑想しながら走り続けた、始めてから三年が過ぎて、次第に単なる自転車好きになってしまった頃に初めて接戒を果たした。

この日を境に、ほぼ自在に接戒をコントロールする能力を手に入れた。

自転車修行を始めてすぐに購入した自転車の走行距離は実に6000kmを超えていた、自転車の選手ならば大した距離ではないのだろうが、素人としては膨大な距離だ。

☆恒例の大修行

教祖は修行を始めてから、毎年欠かさずに続けている『あんパン初修行』がある。

昔に喪失したご本尊に代わるものが無いため、ご本尊に見立てたものを使用する、試行錯誤しているので、毎年のように変更しているのだが、主には枕元に購入してきたあんパンを大修行の前日に置いて接戒する。

そのあんパンを背負って元旦に自転車修行に出るのだが、初日の出までに府中の関戸橋から多摩川河口まで行って、ご本尊と共にご来光を仰ぐ。

これは天候に関係なく、雨でも雪でも実行する。

その後は多摩川を完走するために、河口(川崎の浮島)から奥多摩湖まで走り、奥多摩湖の湖水で手を洗う。

さらに奥多摩湖から関戸橋まで戻るという、走行距離210キロの大修行を行う。

更に三年程前から大修行を終えた後に、あんパン流しを始めている。

開祖・現餡師が多摩川であんパン様の像を拾い上げた状態を再現するため、ご本尊をビニール袋で沈まないようにして川に流し、少し下流で教祖が拾い上げる。

ご本尊を拾い上げるために、教祖は元旦の夜に極寒の多摩川の水に入らなければならない。

非常に厳しい修行はこれで終了する。

もしも信者が増えた場合は、奥多摩湖で一泊して説法する事も計画している。